2018年12月03日
その332 「仁」を志す(その1)
子曰わく、我、未だ仁を好む者、不仁を悪(にく)む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚(くわ)うる無し。不仁を悪む者は、夫れ仁を為す。不仁者をしてその身に加えしめず。
【筆者意訳】私は今までに、心から仁徳を愛する者、不仁を憎む者を見たことがない。仁徳を愛する者はそれだけで十分といえる。また不仁を憎む者は仁徳に務めようとするので、不仁者の影響を受けることがないのだ。
【ひとこと】この章句は、『論語』里仁編に出てきます。長い文章になるので、今日と明日の2回に分けて紹介します。
「仁」とは、他人に対する思いやりの心、即ち利他愛の事です。それは肉親への思いやりに発し、友人・知人、社会、国家、世界へと成長していくものです。国家レベルの「仁」を抱いた人物が国を治めるリーダーになれば、仁徳に溢れた政治が実現される・・・孔子が描いた徳治政治の世界です。
しかし、弟子を始め一般の人々には、孔子の説く「仁」は到達が困難なほど高い山に見えたのではないでしょうか。そのような人々に対して、孔子が語った言葉が本章句です。
孔子はまず、仁徳を人間として大切なものと考え実践する人も、人としての道を踏み外す不仁者を憎む人も、どちらも同じように仁を志していると言います。
”私は仁を大切だと考え、いつも実践している”とは、誰も自信を持って言うことは出来ないでしょうが、”人としてやってはいけない不道徳は許せない”という感覚は、多くの人は持っているのではないでしょうか。
そう考えている人は、自ら不道徳を働こうとは考えないでしょうし、不道徳者を見ても真似しようとは考えないでしょう。そこに「仁」を志そうという気持が有るのだ、つまり誰もが「仁」を志す気持ちは持っている、と孔子は言っているのですね。
【筆者意訳】私は今までに、心から仁徳を愛する者、不仁を憎む者を見たことがない。仁徳を愛する者はそれだけで十分といえる。また不仁を憎む者は仁徳に務めようとするので、不仁者の影響を受けることがないのだ。
【ひとこと】この章句は、『論語』里仁編に出てきます。長い文章になるので、今日と明日の2回に分けて紹介します。
「仁」とは、他人に対する思いやりの心、即ち利他愛の事です。それは肉親への思いやりに発し、友人・知人、社会、国家、世界へと成長していくものです。国家レベルの「仁」を抱いた人物が国を治めるリーダーになれば、仁徳に溢れた政治が実現される・・・孔子が描いた徳治政治の世界です。
しかし、弟子を始め一般の人々には、孔子の説く「仁」は到達が困難なほど高い山に見えたのではないでしょうか。そのような人々に対して、孔子が語った言葉が本章句です。
孔子はまず、仁徳を人間として大切なものと考え実践する人も、人としての道を踏み外す不仁者を憎む人も、どちらも同じように仁を志していると言います。
”私は仁を大切だと考え、いつも実践している”とは、誰も自信を持って言うことは出来ないでしょうが、”人としてやってはいけない不道徳は許せない”という感覚は、多くの人は持っているのではないでしょうか。
そう考えている人は、自ら不道徳を働こうとは考えないでしょうし、不道徳者を見ても真似しようとは考えないでしょう。そこに「仁」を志そうという気持が有るのだ、つまり誰もが「仁」を志す気持ちは持っている、と孔子は言っているのですね。