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2019年03月03日

その421 無念の心中

子曰わく、鳳鳥至らず、河、圖(と)を出さず。吾巳(や)んぬるかな。

【筆者意訳】今の時代は鳳凰の鳥も飛んでこない。黄河から図版を背負った竜馬も出てこない。これでは私もどうしようもない。

【ひとこと】この章句は、『論語』子罕編に出てきます。分かりにくい文章なので、解説を加えます。

鳳凰は伝説の霊鳥で、瑞兆(良いことが起こる予兆)を知らせる鳥と言われていました。鳳は雄、凰は雌です。伝説の聖人・舜の時代に舞い来たり、周の文王(武王の父)の時代に岐山(きざん)に舞い降りて鳴いたといわれます。これが周王朝が興る瑞兆であったとされています。

河は黄河のこと。 太古の時代に、竜馬(立派な馬)が図版(易の八卦の図)を背負って、黄河から出てきたという伝説があります。これも瑞兆とされています。
古代中国には鳳凰や竜馬が出現すれば、戦国乱世を平定する聖王が誕生するという信仰があったのですが、孔子の時代にはこのような瑞兆が現れなかったのでしょう。

この章句は、孔子が晩年になって、戦国乱世を治めることができなかった自らの力の足りなさと不運を嘆き、心中を吐露した言葉だと思います。
高い理想を抱き、卓越した才能を持ち、優れた弟子を多く育てましたが、孔子は最後まで君主にも聖者にも成りきれず、社会の混乱や民衆の苦悩を解決することが出来なかったのです。
理想の高さと現実の厳しさ、天命の限界などを感じさせる、晩年の孔子の、如何ともしがたい無念さが滲み出ている章句だと思います。


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