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2019年03月04日

番外編 孔子の最後

太山(たいざん)壊(くず)れんか。梁柱(りょうちゅう)摧(くだ)けんか。哲人萎(や)まんか。

【筆者意訳】太山が崩れてしまう。梁柱が砕けてしまう。哲人が死んでしまう。

【ひとこと】この言葉は、『史記/孔子世家』に出てきます。
孔子の最後の様子は、『論語』には出てきません。そこで『史記』の記述から、それを見ていきたいと思います。

子路(しろ)が戦乱で命を落とした翌年、孔子は重い病気にかかりました。子貢(しこう)が面会に行った時、孔子は杖をついて門前で誰かを待っているようでした。孔子は子貢の姿を見ると、”賜(子貢の名)よ、遅かったではないか”と声をかけ、この詩を詠ったのです。

「太山」は中国第一の名山と言われる泰山のこと、「梁柱」は家屋を支える重要な柱のこと、「哲人」は明智の賢人のことで、何れも孔子自身を形容したものです。詠う孔子の眼からは、とめどもなく涙がこぼれ落ちました。

孔子はこの日から病床につき、二度と起き上がることはありませんでした。そして7日後、門弟たちに看取られながら73年の生涯を閉じたのです。
孔子の亡骸は、魯国の都・曲阜の北、泗水(しすい)という川のほとりに葬られました。弟子たちは三年の喪に服しました。子貢は更に三年間、墓の傍らに小屋を建てて喪に服しました。
弟子や魯国の人々で、孔子の墓の周りに移り住む者が百軒ほどありました。そこは「孔里」と名付けられて今に伝わっています。


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