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2018年12月23日

その352 孔子の生活(その5)

車に升(のぼ)りては、必ず正しくたちて綏(すい)を執る。車の中にては、内顧せず、疾言(しつげん)せず。親指(しんし)せず。

【筆者意訳】馬車に乗るときには、必ず真直ぐに立ち、身体を支える綱を握った。馬車の中では、周りを見廻したり、大声で話をしたり、他人を指さしたりすることはなかった。

【ひとこと】この章句は、『論語』郷党編に出てきます。馬車に乗った時の孔子の表した礼節について語っています。
当時、馬車は身分の高い人しか乗ることが出来ない高貴な乗り物でした。また朝廷に出仕する際には、馬車に乗って登朝するしきたりになっていました。従って、馬車に乗るということは、地位・立場のある人物という証左でもあったのでしょう。孔子はその立場に相応しい礼節を持って馬車に乗ったということです。

身体を支える綱を握るのは、御者に対する配慮です。馬車が揺れた時に転げ落ちたりしたら、自分が怪我をすることもありますが、何よりも御者が責任を感じてしまいます。そのようなことにならないよう気を付けたということですね。
馬車の中から周りを見廻すのは、高いところから庶民をこれ見よがしに見渡すことになります。車内で大声で話すことは、馬車の周囲の人たちの迷惑になるでしょう。何れも庶民に対する配慮です。
人を指さしすることは、現代でもそうですが、相手に対する侮辱になります。相手の身分に拘わらず、このようなことはしなかったということですね。

心理学の世界で、自動車を運転している人は気持ちが大きくなるという現象があるそうです。人間には無意識に確保している自分の領域があり、その領域が大きくなると気持ちが大きくなるというのです。普通個人の領域は身体の周囲数十センチぐらいなのですが、自動車という閉空間に入ると、自分の領域が自動車の外周まで広がったと錯覚するというのです。このため、態度がでかくなり、他の車に対して高飛車になる場合があるということです。車を運転すると性格が変わったように態度が大きくなる人が時々いますが、こういった心理現象によるものではないかと内心思っています(最近話題になっている煽り運転もそうかもしれません)。
同乗者から言われたことがある人、自分で心当たりのある人は気を付けたほうがいいですね。

この章句の場合も同様に考えることが出来ると思います。馬車という閉空間に入ると、気持ちが大きくなる。それをそのまま態度で表すと、周囲の人々には横柄な態度に映ったり、迷惑な行為になる。従ってそのようなことが無いように、普段と同じ礼節が保てるように心掛けるということでしょう。私たちも自動車を運転する時には心得ておきたいことです。


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