› 今日の論語・・大切なひとこと › 論語/季氏編 › テーマ/政(まつりごと) › その259 高位にある者の責任

2018年09月17日

その259 高位にある者の責任

孔子曰わく、求、周任言えること有り。曰く、力を陳(の)べて列に就き、能(あた)わざれば止むと。危うくして持せず、顛(くつがえ)りて扶(たす)けずんば、則ち将(は)た焉(いずく)んぞ彼の相を用いん。

【筆者意訳】孔子は、「求(きゅう)よ、(昔の立派な史官と云われた)周任の言葉に、『力の限りを尽くして職務にあたり、果たせなかったならば職を辞す』というのがある。国が危険な状況にあるのに持ちこたえさせることが出来ず、転覆しかかっている時に主君を助けることが出来ないのなら、そんな大臣など必要ないではないか」と言った。

【ひとこと】この章句は、『論語』季氏編の最初に出てきます。非常に長い章句なので、5回に分けて紹介していきます。
全体のストーリーは、季孫氏(きそんし)という魯国の大名クラスの主君が顓臾(せんゆ)という小国を攻撃しようとしているのを知った孔子が、自分の弟子であり且つ季孫氏の臣下(大臣クラス)でもあった冉求(ぜんきゅう)を、”なぜ顓臾を攻撃する必要があるのだ”と問い詰めている場面です。

孔子の厳しい追及に対して、冉求はあれやこれやと言い訳をするのですが、孔子はそれをことごとく論破します。
今回取り上げた一節は、孔子が冉求の大臣としての姿勢を糾弾しているものです。つまり、「お前の主君の季孫氏が、間違ったことをしようとしているのに、力を尽くして止めようとしないのなら、大臣でいる価値はないぞ」と言っているのです。大変厳しい言い方ですね。

昔も今も、組織のトップは孤独なものです。最大の権力を握っているが故に安易に相談できない。相談できたとしてもヨイショされるのがオチ。例え間違った判断をしたとしても、我が身の安全を守りたい部下は正面切って反対をしてくれないものです。凡庸なトップはその権力に安住して次第に裸の王様になっていきますが、優れたトップは、自分に意見を言う部下を求め、重用します。
部下の立場から言えば、トップが凡庸であろうと優秀であろうと、間違っていることは諫めなければならない。ましてや大臣という主君に次ぐ立場であれば国政の責任を担っている訳ですから、例えそれによって自分の立場が悪くなろうとしなければならないことなのです。会社でいえば、取締役は、社長が間違った判断をしたら正さなければならないのと同じこと。それは社員のためであり、社会のためなのです。
人民に影響力を持つ高い地位にいる人間は、視点を人民に置かなければならない。孔子の視点は、社会であり、それを構成する人民であったのです。


同じカテゴリー(論語/季氏編)の記事
 その366 人間の価値 (2019-01-07 08:51)
 その365 君子の心掛け (2019-01-06 07:27)
 その263 問題は常に内に在る (2018-09-21 07:24)
 その262 孔子の苛立ち (2018-09-20 08:39)
 その261 為政者のあるべき姿 (2018-09-19 08:29)
 その260 言い繕いは見苦しい (2018-09-18 07:28)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
その259 高位にある者の責任
    コメント(0)