2018年09月03日
その245 自分がされて嫌なことは人にしない
仲弓(ちゅうきゅう)、仁を問う。子曰わく、門を出ては大賓(たいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭に承(つか)えまつるが如くす。己の欲せざる所は人に施すこと勿(なか)れ。邦にありても怨無く、家に在りても怨無し。
【筆者意訳】仲弓が仁について尋ねた。孔子は、「一歩家を出て社会の人と接する時には、大事なお客を迎えるように敬意をもってし、上に立って人民を使う立場になっても、重大な祭りを執り行うように慎み深くする。自分が嫌だと感じることは人にもしないようにすることだ。そうすれば邦にあっても人民に怨まれることもなく、家の中でも家人に怨まれることはない」と答えた。
【ひとこと】この章句は、『論語』顔淵編に出てきます。今日も仲弓の話を取り上げます。
仲弓は孔子門下でベストテンに入る優秀な弟子であったことは、前にも触れました。徳行に秀で、孔子も高く評価していた人材でした。
「仁」は孔子の思想の根幹をなすものですから、それを理解することは弟子達にとっても最重要な事でした。ですから各々が孔子に、「仁」について聞いています。それに対する孔子の答えは、弟子によって異なりました。
それは、「仁」の概念を一言で表すことが難しかったのと、それ故に弟子の成熟度に応じて具体的な事例で話した方がいいという孔子の判断があったのではないかと考えられます。
それでも、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という表現は、利他愛という「仁」の本質を、具体的な行為として説明する言葉としては、腑に落ちやすい(解りやすい)のではないでしょうか。
『論語』では、同じ答えを仲弓の外に子貢(しこう)にしています(その23 生涯行っていくもの参照)。子貢も優秀な弟子でしたから、この答えの意味を理解できたのでしょう。
この章句のポイントは、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という所です。
「大賓を見るが如く」も「大祭に承えまつるが如く」も同じこと、人に対しては目上であっても目下であっても敬意を以て接し、横柄な態度、傲慢な態度を示してはならないということを言っています。このような態度は自分がされたら嫌ですから、それを人に対してするなと言うことですね。
往々にして人は勝手で自分本位になりがちです。しかし自分がされたら嫌なことは他人も同様に嫌なのです。それは行動だけに留まりません。言葉も同じです。嫌味な言葉や投げやりな言葉、相手を威嚇するような言葉、相手の心を傷つけるような言葉、すべて自分が嫌なことは相手も同じなのです。
例え虫の居所が悪くても、それを心の中にしまって、人には敬意と真心を以て接する。心掛けたいことです。
【筆者意訳】仲弓が仁について尋ねた。孔子は、「一歩家を出て社会の人と接する時には、大事なお客を迎えるように敬意をもってし、上に立って人民を使う立場になっても、重大な祭りを執り行うように慎み深くする。自分が嫌だと感じることは人にもしないようにすることだ。そうすれば邦にあっても人民に怨まれることもなく、家の中でも家人に怨まれることはない」と答えた。
【ひとこと】この章句は、『論語』顔淵編に出てきます。今日も仲弓の話を取り上げます。
仲弓は孔子門下でベストテンに入る優秀な弟子であったことは、前にも触れました。徳行に秀で、孔子も高く評価していた人材でした。
「仁」は孔子の思想の根幹をなすものですから、それを理解することは弟子達にとっても最重要な事でした。ですから各々が孔子に、「仁」について聞いています。それに対する孔子の答えは、弟子によって異なりました。
それは、「仁」の概念を一言で表すことが難しかったのと、それ故に弟子の成熟度に応じて具体的な事例で話した方がいいという孔子の判断があったのではないかと考えられます。
それでも、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という表現は、利他愛という「仁」の本質を、具体的な行為として説明する言葉としては、腑に落ちやすい(解りやすい)のではないでしょうか。
『論語』では、同じ答えを仲弓の外に子貢(しこう)にしています(その23 生涯行っていくもの参照)。子貢も優秀な弟子でしたから、この答えの意味を理解できたのでしょう。
この章句のポイントは、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という所です。
「大賓を見るが如く」も「大祭に承えまつるが如く」も同じこと、人に対しては目上であっても目下であっても敬意を以て接し、横柄な態度、傲慢な態度を示してはならないということを言っています。このような態度は自分がされたら嫌ですから、それを人に対してするなと言うことですね。
往々にして人は勝手で自分本位になりがちです。しかし自分がされたら嫌なことは他人も同様に嫌なのです。それは行動だけに留まりません。言葉も同じです。嫌味な言葉や投げやりな言葉、相手を威嚇するような言葉、相手の心を傷つけるような言葉、すべて自分が嫌なことは相手も同じなのです。
例え虫の居所が悪くても、それを心の中にしまって、人には敬意と真心を以て接する。心掛けたいことです。