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2018年09月26日

その268 親を送る

曽子曰く、吾諸(これ)を夫子に聞けり。人の未だ自ら致す者有らざるなり。必ずや親の喪か。

【筆者意訳】曽子が言われた。「私は孔子先生からこんな話を聞いたことがある。人は自分の真情をさらけ出すことはまずないが、あるとすれば親が亡くなった時だろう」と。

【ひとこと】この章句は、『論語』子張編に出てきます。曽子(そうし)が、孔子から聞いたことを、自分の弟子に対して語った言葉です。

孔子は2才の時に父を亡くし、母親一人に育てられました。その母親も16才の時に亡くなりましたが、その時の孔子の哀しみはいかばかりであったでしょう。厳しい時代に愛情たっぷり女手一つで自分を育ててくれた訳ですから。この時孔子は喪主としての礼節も忘れ、真情から我を忘れて慟哭したのでしょう。そのことを何かの折に曽子に話したのではないでしょうか。

曽子には曽晳(そうせき)という名の父親がいました。曽子は曽晳が31歳の時に授かった子供です。親子で孔子の門下生でした。曽子も親孝行だったと言われてますが、曽子が弟子を持つ頃には亡くなっていたものと考えられます。親の喪に際して、曽子も我を忘れて慟哭したのではないでしょうか。その時の思いを、孔子が語った言葉に重ねて、弟子に話したのが本節ではないかと推察します。

私は幸いにしてまだ親の喪に接していないので、その時に自分がどのような状態になるのか分かりかねますが、葬儀に参列して感じるのは、皆さん力が抜けるというか落胆されているのが傍目でも分かります。葬儀に至るまでに、多くの涙が流されたことでしょう。それでも命の順番が逆にならなかったことで心の整理をつけ、次に歩き出すのでしょう。世代は受け継がれていきます。命のバトンタッチが生まれた時であるとすれば、親の死は人生のバトンタッチと言えるのかもしれません。


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