2018年09月09日
その251 政治家は身を正せ
子曰わく、苟(いやしく)もその身を正しくせば、政に従うに於て何か有らん。その身を正しくすること能(あた)わずんば、人を正しくすること如何せん。
【筆者意訳】為政者が、自身を正しくすることが出来れば、政治を行うのに何の難しいことがあろうか。しかし自身を正しくすることが出来なければ、人を正しく指導することなど出来ないだろう。
【ひとこと】この章句は、『論語』子路編に出てきます。顔淵編に、「政は正なり」という言葉が出てきますが、その趣旨の下に語られたものですね(その178 トップは模範を示せ参照) 。
「政」という漢字は、「正」と「攵(ぼく)」から成り立っています。「攵」は強制するという意味を持った文字ですから、「政」は強制力を以て正すという意味を持った漢字になります。そこから法律・規律・権力・権威などの強制力を以て正しく導き治めるのが「政(まつりごと)」という意味が出来てきました。
人民を強制力を以て正しく導くのですから、その前提として導く側が、”身を正す”ことが必要とされたのです。
同様の言葉は、子路編にも他の所にも出てきます。「その身正しければ、令せずして行われ、その身正しからざれば令すと雖(いえど)も従わず」ですね(その50 身を正す参照)。
孔子が何度も言い方を変えて訴えているのは、まず人の上に立つ人間が率先して自分自身を正しくすれば、下の人間は自然とそれに従うということです。
言い換えれば、率先して正しくあろうと考えない人間は、人の上に立つ資格がないということです。
残念ながら今の日本の政治家に対しては、国民は、まずは疑ってかかるようになってしまっています。モリカケ問題も、(個人的には大した問題だとは考えていないのですが)”何か裏で自分たちの利益になるようなことをしているんではないか?”と多くの国民が疑っているから、いくら釈明してもズルズルと長引いたのです。安倍首相が目指す憲法改正も、”何か国民に隠している狙いがあるのではないか?”と疑っているから本気に考えないのではないでしょうか。
それは、今までの政治的行いの積み重ねによって、政治家が国民から信用を得られなくなってしまっているからです。
政治家はこの事実に真摯に向き合い、政治を行う者の身の正しさ・誠実さを示すことが望まれます。国民がその変化を理解すれば、もっと政治と国民との距離が近づくのではないでしょうか。
【筆者意訳】為政者が、自身を正しくすることが出来れば、政治を行うのに何の難しいことがあろうか。しかし自身を正しくすることが出来なければ、人を正しく指導することなど出来ないだろう。
【ひとこと】この章句は、『論語』子路編に出てきます。顔淵編に、「政は正なり」という言葉が出てきますが、その趣旨の下に語られたものですね(その178 トップは模範を示せ参照) 。
「政」という漢字は、「正」と「攵(ぼく)」から成り立っています。「攵」は強制するという意味を持った文字ですから、「政」は強制力を以て正すという意味を持った漢字になります。そこから法律・規律・権力・権威などの強制力を以て正しく導き治めるのが「政(まつりごと)」という意味が出来てきました。
人民を強制力を以て正しく導くのですから、その前提として導く側が、”身を正す”ことが必要とされたのです。
同様の言葉は、子路編にも他の所にも出てきます。「その身正しければ、令せずして行われ、その身正しからざれば令すと雖(いえど)も従わず」ですね(その50 身を正す参照)。
孔子が何度も言い方を変えて訴えているのは、まず人の上に立つ人間が率先して自分自身を正しくすれば、下の人間は自然とそれに従うということです。
言い換えれば、率先して正しくあろうと考えない人間は、人の上に立つ資格がないということです。
残念ながら今の日本の政治家に対しては、国民は、まずは疑ってかかるようになってしまっています。モリカケ問題も、(個人的には大した問題だとは考えていないのですが)”何か裏で自分たちの利益になるようなことをしているんではないか?”と多くの国民が疑っているから、いくら釈明してもズルズルと長引いたのです。安倍首相が目指す憲法改正も、”何か国民に隠している狙いがあるのではないか?”と疑っているから本気に考えないのではないでしょうか。
それは、今までの政治的行いの積み重ねによって、政治家が国民から信用を得られなくなってしまっているからです。
政治家はこの事実に真摯に向き合い、政治を行う者の身の正しさ・誠実さを示すことが望まれます。国民がその変化を理解すれば、もっと政治と国民との距離が近づくのではないでしょうか。