2018年08月11日
その222 親の思いを継ぐ
子曰わく、父在(いま)せばその志を観、父没すればその行いを観る。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂う可し。
【筆者意訳】父親が生きている時には、その気持ちを察して沿うように努め、亡くなってからはその行跡を観て遺志を継ぐのが良い。三年の間、亡父のやり方を改めることなく喪に服すならば、真の孝行と言えるだろう。
【ひとこと】この章句は、『論語』学而編に出てきます。お盆も近づいてきましたので、喪に関する章句を取り上げました。
古代中国では、喪に服すべき期間は三年とされていました。但し数え年で言いますから、実質は二年間、日本でいう三回忌までが服喪期間とされていました。
服喪期間中に何をするかと言うと、「父没すればその行いを観る」のです。父親が人生の中で歩んできた道に思いを馳せ、どんな思いで生きて来たのか、どんなことに情熱を燃やして取り組んできたのか、成し遂げた結果の意味等々、そして命を引き継いだ自分のあるべき姿を考えるのです。
そうして、父は立派だった、もっともなことを行っていたのだなあと思うのであれば、父親の思いは子に引き継がれていくでしょう。それはまさに「孝」と言えるのではないでしょうか。
そういったことを考え尽くし、整理のつかない内に、親のやってきたことを覆すようなことをすべきではないでしょう。
この章句を親の側面から読むと、また含蓄のある言葉になると思います。
子供は親の背中を見て育つと言われます。特に口に出して語らなくても、子供は父親の生きざまから何某かを受け取り、自分の生き方に反映させていくものです。願わくば、”父は父なりに立派な生き方をした。俺も負けないように生きよう。”と思ってもらえれば、父親冥利に尽きるのではないか。そう思ってもらえるような生き方をしたいと思うのです。
そうであれば、父は子の模範となり、子供は言われるでもなく父の思いを継ぐでしょう。そこに世代をまたぐ継続性があり、それに新世代の新規性を加えるところに円満な進歩発展があると考えるのです。
人は様々な経験を経て考えを深めていくものですから、小さいときは分からなかった父親の気持ちも今になってみるとしみじみ分かるということもあります。そしてそれを祖父から父、父から私、私から子へと受け継いでいくのではないでしょうか。
【筆者意訳】父親が生きている時には、その気持ちを察して沿うように努め、亡くなってからはその行跡を観て遺志を継ぐのが良い。三年の間、亡父のやり方を改めることなく喪に服すならば、真の孝行と言えるだろう。
【ひとこと】この章句は、『論語』学而編に出てきます。お盆も近づいてきましたので、喪に関する章句を取り上げました。
古代中国では、喪に服すべき期間は三年とされていました。但し数え年で言いますから、実質は二年間、日本でいう三回忌までが服喪期間とされていました。
服喪期間中に何をするかと言うと、「父没すればその行いを観る」のです。父親が人生の中で歩んできた道に思いを馳せ、どんな思いで生きて来たのか、どんなことに情熱を燃やして取り組んできたのか、成し遂げた結果の意味等々、そして命を引き継いだ自分のあるべき姿を考えるのです。
そうして、父は立派だった、もっともなことを行っていたのだなあと思うのであれば、父親の思いは子に引き継がれていくでしょう。それはまさに「孝」と言えるのではないでしょうか。
そういったことを考え尽くし、整理のつかない内に、親のやってきたことを覆すようなことをすべきではないでしょう。
この章句を親の側面から読むと、また含蓄のある言葉になると思います。
子供は親の背中を見て育つと言われます。特に口に出して語らなくても、子供は父親の生きざまから何某かを受け取り、自分の生き方に反映させていくものです。願わくば、”父は父なりに立派な生き方をした。俺も負けないように生きよう。”と思ってもらえれば、父親冥利に尽きるのではないか。そう思ってもらえるような生き方をしたいと思うのです。
そうであれば、父は子の模範となり、子供は言われるでもなく父の思いを継ぐでしょう。そこに世代をまたぐ継続性があり、それに新世代の新規性を加えるところに円満な進歩発展があると考えるのです。
人は様々な経験を経て考えを深めていくものですから、小さいときは分からなかった父親の気持ちも今になってみるとしみじみ分かるということもあります。そしてそれを祖父から父、父から私、私から子へと受け継いでいくのではないでしょうか。