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2018年07月13日

その193 上に立つ者の心得

子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。

【筆者意訳】上に立つ人間は、どっしりと構えて物事を裁定しなければ威厳がない。自ら学べば独善・頑固に陥ることはない。人には常に誠実な態度で接し、自分より知徳の劣った者と交わっていい気になってはならない。過ちに気が付いたら改めるのに誰にも遠慮はいらない。

【ひとこと】この章句は、『論語』学而編に出てきます。類似の章句が、子罕編にも出てきます(その14参照)が、この章句では、冒頭に「君子」が出てきますので、君子のあり方として意訳をしました。

上に立つ者が、軽々しい発言したり、落ち着きがない素振りを見せたら、下の者は、”この人に付いて行って大丈夫かな?”と思います。そうすると組織の統制は効かなくなります。上位者は堂々として、挙動言語を重厚にしなければなりません。

しかし、それだけでは足りません。一時威厳を保つことが出来ても、自ら学んで成長しなければ、独善と傲慢の世界に陥ってしまいます。学ぶのも中途半端ではいけません。中途半端な学びは知ったかぶりになり、人間が軽くなります。深く、徹底的に学ぶことにより、道理を弁えられるようになります。

そして「忠信を主とし、・・・」です。「忠」とは偽りのない心(=真心)です。「信」は人を欺かないことです。「忠信」は自分の真心を以て、誠実な態度で人に接することです。”あなたは私の大切な人だよ”という気持ちで接することです。
そうすれば、相手を利用してやろうとか、自分がよく見られようとかいう下心を持つことはありません。相手を利用する、自分を大きく見せるというのは、相手を一段下に見る意識の表われですから、「忠信」とは相いれないものです。

そして最後、「過てば則ち改むるに憚ること勿れ」です。過ちに気が付いたら、真心に従って改めることです。人の上に立つと、自分の過ちを認めることは威厳を損なうと考えがちですが、それは間違いです。潔く過ちを認めて改めることこそ人間の度量の大きさを示すことになるのです。

「威厳」「道理を弁える」「忠信」「過ちを改める潔さ」の四つは、人の上に立つ者が心得ておかなければならないことなのですね。


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