› 今日の論語・・大切なひとこと › 論語/陽貨編 › その191 孔子の失言

2018年07月11日

その191 孔子の失言

子、武城に之(い)きて絃歌(げんか)の声を聴く。夫子莞爾(かんじ)として笑いて曰わく、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游(しゆう)對(こた)えて曰く、昔、偃(えん)や夫子に聞けり、曰わく、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。

【筆者意訳】孔子が武城の町に行った時、琴の音に合わせて歌声が聞こえた。孔子はにっこり笑って言った。「鶏を料理するのに牛刀を使うとは大げさな事だ」と。子游はこれに対して、「私は昔、先生から、上に立つ者が道徳を学べば人民を大切にするようになり、一般人民が道徳を学べば素直になるものだ、と伺いました。(私は何か間違っていますか?)」と答えた。

【ひとこと】この章句は、『論語』陽貨編に出てきます。弟子の子游(しゆう)との対話の一部を抜き出しました。
「牛刀割鶏」という熟語の出典となった章句です。
子游は孔子より45歳年下でしたが、熟慮断行の人物として孔子門下のベストテンに揚げられています。子游は武城という町の長官になって治めていましたが、ある時孔子が訪問し、治政の様子を見た時の対話です。

武城という町は、魯国の片隅の小さな町でした。その田舎町で、都会で行われるような音楽、つまり文化的な社会教育が行われていることに嬉しくなったのでしょう。孔子はつい軽口をたたいたのでした。
孔子は、からかい半分で、”こんな小さな田舎町で都会のような文化教育をするとは大したものだが、ちょっと不釣り合いじゃないか”ということを、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」と例えて言ったのです。
そこから、「牛刀割鶏」は”取るに足りない小さなことを処理するのに、大げさな方法を用いる”という意味で使われるようになりました。

それに対して、子游も負けていません。かつて孔子から教えられた、「君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易し」という言葉を持ち出して、”上に立つ者だけでなく、万人に道徳(この場合は礼楽)を学ばせることが大事だと仰ったじゃないですか。私は先生の教えに従ってこうしているのです。何か間違っていますか?”と反論したのです。
この問答は子游の勝ちです。孔子は、「今のは冗談だよ」と言って謝りました。


同じカテゴリー(論語/陽貨編)の記事
 その414 孔子の配慮 (2019-02-24 08:08)
 その413 言葉だけに頼らない (2019-02-23 07:21)
 その411 小利口が国を覆す (2019-02-21 09:24)
 その371 孔子への誘い(その3-2) (2019-01-12 08:39)
 その370 孔子への誘い(その3-1) (2019-01-11 09:04)
 その369 孔子への誘い(その2) (2019-01-10 09:21)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
その191 孔子の失言
    コメント(0)